台湾の核兵器開発、阻止の背後にCIAスパイ-英雄として再評価も
記事を要約すると以下のとおり。
アイダホ州アイダホフォールズで暮らす張憲義氏は、風が強くない夏の日には自宅近くのゴルフ場に行くのが常だ。 この平凡な田舎暮らしは周囲に溶け込もうとするスパイにぴったりだが、張氏がまさにそのスパイだった。米中央情報局(CIA)は核拡散を防ぐための情報提供者として招き入れ、その情報で計画を放棄するよう台湾に圧力をかけたのだ。世界は今、予測困難な核の時代に入りつつある。 長年のタブーを破り、各国は核抑止力のメリットを公然と議論している。失効すれば約半世紀ぶりに核兵器の保有数に制限がなくなる。 こうした状況下であるからこそ、核兵器に楽観的な時代の雰囲気に流されず、命がけの任務を実行した張氏の行動は特筆すべきものにみえる。 しかし張氏は、台湾と中国が現在も共存しているという事実が自らの行動の正しさを証明していると話す。 その2年後。重要なのは米国に隠し通し続けることだった。このとき初めて、CIAが自身に関心を抱いたとみている。 しかし、階級が上がるにつれて、考えは変わっていった。 米国は79年、張氏は台湾の核能研究所(INER)の副所長に昇進し、CIAと正式な関係を断絶し中国と国交を結んだ。チェルノブイリ事故で放棄されたプリピャチ遊園地(2024年3月17日)Photographer:GianMarcoBenedetto/Anadolu/GettyImages 88年までには、亡命の時期が来たとの判断で米国が動いた。その後は、亡命直前に東京のディズニーランドに向かっていた妻と3人の子どもたちも米国で合流した。氏名は変更せず、「グレイというファーストネームを新たに名乗り、89年に米国市民となった。」 長く張氏の活動の実態は明らかにされていなかったが、97年にその詳細が公にされた。 CIAは張氏の役割について公式には認めておらず、関連資料の多くはいまだ機密扱いとなっている。「純粋に軍事・法的な観点から許すことはできず、法に基づいて罰せられるべきだ」と指摘する。 核兵器に詳しいデビッド・オルブライト氏は著書で示した見解は変わらないと答えた。米上院外交委員会でイランの核計画について話すオルブライト氏(2015年)Photographer:Bloomberg/Bloomberg 台湾ではその後、核兵器開発の議論はほとんど行われていない。 張氏は指名手配の解除後も、台湾に一度も帰っていない。また味わうために戻りたい気持ちはあると話した。その理由は、台湾から米国への移住の理由を知った息子が記したメッセージにある。
[紹介元] ブルームバーグ マーケットニュース 台湾の核兵器開発、阻止の背後にCIAスパイ-英雄として再評価も