【コラム】甘味料禁止は甘くない、日米ソが絡んだ普及の歴史-ミーム
記事を要約すると以下のとおり。
雑学クイズだ。こうした経緯を知れば、ケネディ長官の改革が直面するであろう反発の背景が見えてくる。日本の研究者たちが、トウモロコシを加工して新たな製品に変える方法を模索する中で誕生した。 この技術が注目を集めた背景には、ニクソン政権のバッツ農務長官の存在があった。 同長官には強力な協力者がいた。 しかし、農家には当然、疑問があった。 だが、バッツ、アンドレアス両氏は、思いがけない買い手を71年に見つけた。72年までに全米の収穫量の4分の1以上を買い取っていた。しかし74年、事態は一変。ジャムとコーラ アンドレアス氏はこの余ったトウモロコシをさばくため、高果糖コーンシロップの生産施設の建設を急いだ。同社のポール・スマッカー最高経営責任者(CEO)は代替品の方が本物より優れていると主張。また、ソ連向けの輸出再開でトウモロコシも再び値上がりし、ADMの戦略は危機に直面した。トウモロコシの対ソ輸出が完全に終わり、価格が急落したことで、高果糖に切り替えるという歴史的決断を下した。議会で巧妙な保護政策を成立させるよう動いた。結果として、米国内の砂糖価格は他国よりもはるかに高く維持されることになった。高果糖の消費は2005年ごろにピークを迎え、それ以降は緩やかだが減少傾向にある。 それでも、同長官が改革を成功させたいと願うなら、この高果糖コーンシロップがどのような歴史的経緯で食卓に上るようになったのかを理解することが出発点となるだろう。
[紹介元] ブルームバーグ マーケットニュース 【コラム】甘味料禁止は甘くない、日米ソが絡んだ普及の歴史-ミーム